momo2994のブログ

5年7ヶ月にわたる小腸がんの闘病生活、最後は大好きな自宅で家族に見守られながら旅立った夫の闘病記です。

静かな旅立ち

私と長女が慌てて帰って来たのが

4時20分頃でした。

それから暫くすると、
それまで苦しそうに
ハァハァと言ってた呼吸が
静かになって来ました。

皆んなが夫の周りに集まってきました。
私は、夫の顔の傍で
ずっと息遣いを見ていました。

ああ、もう最期かな
息が楽そうになって来たわ

お父さん、お父さ〜ん

そして約30分後、
少しずつ息をする間隔が長くなり
皆んなが見守る中、やがて

夫は静かに息を引き取りました。


平成29年 12月6日 午前4時57分でした。

享年 63才

28日は夫の64回目の誕生日でした。

合掌

夫は待ってくれると信じて…

日付けが替わり、6日になりました。

夫はまだ下顎呼吸が続いており
状態は変わりません。

兄に少し休んだらと言うと
俺は大丈夫やと言ってましたが
そのうちに、ベッドに持たれて
ウトウトしたりハッとして起きたりしていました。

末娘の旦那にも
子供達と一緒に寝ておいでと言うと
眠たそうにしていた旦那も
子供達の所へ行きました。

私は朝刊を休むと販売店には言ってませんでした。
夫はもう最期が近いとは、店長に言ってましたが
最期まで行くつもりでした。

夫は栄養失調になっても、手術をしても
ずっと頑張り続けた仕事、
夫が配達していた所もあります。

絶対に私が帰って来るまで
待っていてくれると信じて
次女と末娘が先に行き
帰ってから、私と長女と2人ずつ組んで
急いで配って来ました。


血圧も、もう測れない

12月5日 16:30

夕方看護師さんが来てくれました。
それ迄夫はずっと寝てました。
やはりたまにアーと言ったり
手を動かしたりするだけでした。

頭を右に傾けていて、しんどそうなので
看護師さん傾けていて真っ直ぐにすると
嫌がるので、そのままにしていました。

看護師さんも看護記録に
全身黃染と書いてありましたが
目はかなり前から黄色かったのですが
顔や胸が特に黄色く
黄疸が酷くなって来ていました。

そして血圧も酸素濃度も何度やっても
測れませんでした。

手指は冷たく、体温も36.5~37.0だったのが
36.0しかありませんでした。
その代わり脈拍が増え120でした。

看護師さんは呼吸が変わったり
何かあったらすぐに緊急ダイヤルで
呼んで下さいと言いました。
そして在宅医にも連絡を入れておくとの事でした。

いよいよ時間か無くなって来たのを
実感してしまい、娘や夫の兄妹達にも
もう一度連絡しました。

皆んなが来てくれるまで
何とか頑張って欲しい
祈るような気持ちで
夫に話しかけても
もう夫は眠っているばかりで
返事はしてくれませんでした。

12月5日
長女はあいちゃんを旦那に預けて来ていました。
末娘は一家全員て来ました。
兄達も次々と駆けつけてくれました。

相変わらず、皆んなが名前を呼んでも
夫は意識は戻らずずっと眠ったままでした。

その夜、8時過ぎから夫の様子が
おかしくなって来ました。
明らかに呼吸が変わって来ていました。
下顎でリズムをとるように
ハァハァと荒い息遣いになっていました。

私は慌てて看護師さんを呼びました。
看護師さんはすぐに来てくれ
夫の様子を見て
タオルを折り首の下に入れて
呼吸しやすくしてくれました。

呼吸は1分間に24~30回とかなり早く
ハァハァととても苦しそうでしたが
看護師さんは、本人は意識がないので
苦しくは無いですよと言いました。

もう血圧や酸素濃度はおろか
脈拍まで測れなくなっていました。

看護師さんは夜8時半過ぎに
在宅医のにS先生に連絡してくれ
先生はすぐに往診に来てくれました。

先生は今晩かも知れないです。
その時が来たら看護師さんの方へ
連絡して下さいと言われました。

孫達には、遅いので寝るようにと
パパやママ達が言ってました。

次兄は、俺は最期まで見届けると言って
ずっと夫の横に座っていました。

寝てばかり…

もう前の日からずっと寝てばかりでした。

時々高い声であーと言って
手を少し動かすくらいでした。

いくら名前を呼んでも起きませんでした。
寝ているだけなら
今まで起こせば起きたのに
もう意識も無くなっていたみたいです。

その後一度だけおしっこがオムツにでていました。
多分お昼頃に出たのだと思います。
かなりの量でした。

長女は前日にオシッコが出ない事を
心配していたので
この事をラインすると安心して
夕方まで大丈夫かな
夕方にはそっちへ行くわと言ってきました。

末娘にもラインして
まだ大丈夫やと思うけど
寝てばかりやから心配と言って置きました。

もう、危ないかも?!

12月4日

夫は朝から紅茶を飲んだり
アイスを食べたりしたのに
オシッコは一滴も出ませんでした。

ずっと1日に2~3回は少量ですが出ていたのに
前日は1回しか出なくなり
その後はまだ出ていませんでした。

いくら何でも、オシッコは出ないし
寝てばかりだし、様子は益々おかしくなるし
私は娘達に、お父さん
もう危ないかも知れない
覚悟したほうが良いかもと言いました。

夕方看護師さんが来た時
夫はアイスを食べた後からずっと寝ていて
看護師さんに起こされると
また機嫌が悪くなり
死にたいと言い始めました。

傷口のガーゼを替えたり
胃ろうの周りを触ると
痛いー!と言って怒ってました。

血圧は下がり、酸素濃度も下がって
かなり状態は悪くなっているようでした。
 

タバコを食べた!

12月4日

夜はよく寝ていました。
朝は早く起きていたのに何かボーっとしていました。

私は、お茶でも飲む?と聞くと
紅茶、というので、紅茶を入れると
少しずつ飲んでいましたが
何も言わず、考え込んでいるみたいでした。

すると、いきなり横の整理棚に手を伸ばし
タバコを掴んで口の中へ入れました。
私はビックリして

吐き出して、そんなもん食べたらアカン

と言いましたが夫は口を閉じたままでした。
私はむりやり口に手を入れて
出そうとしましたが
なかなか手が入りません
やっと手が入った時には
もう殆ど残ってませんでした。

夫は食べてしまいました。
夫のタバコはタバコではなく
タバコのように吸う、喉の薬の
ネオシーダーでしたが
それでも、そんな物食べていい筈がありません。

慌ててお茶を飲ませて
吐き出させようとしたのですが
夫はもう何も分からなくなって
虚ろな目をしていました。
 
気持ち悪いだろうと思いクッキーを食べさせると
魂の抜け殻みたいになった夫は
黙々と食べていました。紅茶も飲んでいました。

変な物を食べたので、どうかと思いましたが
胃ろうからの廃液にタバコのカスのような物が 
出て来ました。

その後は疲れたのか、ずっと寝ていました。
お昼過ぎになって、少し起きていたので

アイス、食べる?

と聞くと、うんと頷きました。
もうどこを見ているのか分からないので
小さなバニラアイスを手に持たせると
ユックリ口へ持って行き少しずつ食べていました。

アイスが溶けてきて
手がベトベトになっても構わず
何処か遠くを見ながら、1口、1口
ユックリ味わうように食べていました。

これが夫の最後に食べたものに
なってしまいました。

バニラアイス、
大好きだったものね照れ

あ、ももちゃんや、あいちゃんは?

12月3日

この日から点滴を300mlにしました。
点滴をする前に
半分棄てておくように
前日kさんに言われていたので
棄てようとしましたが、手が震え
涙が出そうになりました。

たったこれだけ、
これだけで何日生きられるのよ!
なんで全部じゃ駄目なの?
分かっていても
その気持ちは抑えられませんでした。

夫は目を覚ました時に
少しずつお茶や紅茶を飲み
お昼にケーキを1口だけ
夕方には小さなアイスを1本食べました。

お茶や紅茶で水分は200ml飲みました。
胃ろうからの廃液はもう100mlしかでませんでした

夫は看護師さんが夕方来た時には寝ていました。
看護師さんは体温や血圧を測り
フェントステープの張替えを
私がまだやっていなかっのに気付いて
張り替えてくれました。
夫は痛い!と言ってやっと目を覚ました様でした。

大きな傷口のガーゼは
昼間に漏れて来たので、私が交換しました。
看護師さんは小さな穴のガーゼを替えて、
その周りを拭いてくれました。

ちょうどその時、末娘達がやって来て
ひとしきり騒いでいましたが
夫はあまり機嫌が良くないのか
孫達には何も言いませんでした。

看護師さんが帰った後
次女が買って来ておいた
小さな玩具のプレゼントを夫に持たせて

「今日、誕生日パーティーするって言ってたやろ、
ななちゃんとももちゃんにプレゼント渡してあげて」

と言っても
夫はあまり嬉しそうな顔はしませんでした。

孫達はキャーキャー言いながら
袋から玩具を出して喜んでいました。

それから暫く経ってからでした。
ももちゃんが夫の傍へ玩具を見せに行き
夫に顔を近づけると、やっと気が付いたのか
ももちゃんの顔をじっと見ていると
夫の顔がだんだん優しくなり

「あ、ももちゃんや、あいちゃんは?」

と言いました。

夫が正気で残した最後の言葉でした。

最愛の孫達の名前が、
夫の最後の言葉となりました。

孫の名前を呼んでくれて
本当に良かった。

意識のある内に皆んなに会えて
夫も満足した事でしょう。