momo2994のブログ

5年7ヶ月にわたる小腸がんの闘病生活、最後は大好きな自宅で家族に見守られながら旅立った夫の闘病記です。

血圧も、もう測れない

12月5日 16:30

夕方看護師さんが来てくれました。
それ迄夫はずっと寝てました。
やはりたまにアーと言ったり
手を動かしたりするだけでした。

頭を右に傾けていて、しんどそうなので
看護師さん傾けていて真っ直ぐにすると
嫌がるので、そのままにしていました。

看護師さんも看護記録に
全身黃染と書いてありましたが
目はかなり前から黄色かったのですが
顔や胸が特に黄色く
黄疸が酷くなって来ていました。

そして血圧も酸素濃度も何度やっても
測れませんでした。

手指は冷たく、体温も36.5~37.0だったのが
36.0しかありませんでした。
その代わり脈拍が増え120でした。

看護師さんは呼吸が変わったり
何かあったらすぐに緊急ダイヤルで
呼んで下さいと言いました。
そして在宅医にも連絡を入れておくとの事でした。

いよいよ時間か無くなって来たのを
実感してしまい、娘や夫の兄妹達にも
もう一度連絡しました。

皆んなが来てくれるまで
何とか頑張って欲しい
祈るような気持ちで
夫に話しかけても
もう夫は眠っているばかりで
返事はしてくれませんでした。

12月5日
長女はあいちゃんを旦那に預けて来ていました。
末娘は一家全員て来ました。
兄達も次々と駆けつけてくれました。

相変わらず、皆んなが名前を呼んでも
夫は意識は戻らずずっと眠ったままでした。

その夜、8時過ぎから夫の様子が
おかしくなって来ました。
明らかに呼吸が変わって来ていました。
下顎でリズムをとるように
ハァハァと荒い息遣いになっていました。

私は慌てて看護師さんを呼びました。
看護師さんはすぐに来てくれ
夫の様子を見て
タオルを折り首の下に入れて
呼吸しやすくしてくれました。

呼吸は1分間に24~30回とかなり早く
ハァハァととても苦しそうでしたが
看護師さんは、本人は意識がないので
苦しくは無いですよと言いました。

もう血圧や酸素濃度はおろか
脈拍まで測れなくなっていました。

看護師さんは夜8時半過ぎに
在宅医のにS先生に連絡してくれ
先生はすぐに往診に来てくれました。

先生は今晩かも知れないです。
その時が来たら看護師さんの方へ
連絡して下さいと言われました。

孫達には、遅いので寝るようにと
パパやママ達が言ってました。

次兄は、俺は最期まで見届けると言って
ずっと夫の横に座っていました。