momo2994のブログ

5年7ヶ月にわたる小腸がんの闘病生活、最後は大好きな自宅で家族に見守られながら旅立った夫の闘病記です。

小さな深呼吸

長女とは夫から見えないようにして

話をしていましたが
あいちゃんがちょこちょこと夫の傍へ
行ったりするので
そのうちに見つかってしまいました。

夫はまだいたのか、はよ帰りと言いました。

私もあまり夫を刺激すると、またおかしくなるので
長女にまた連絡するからと言って
帰ってもらいました。

長女も夫がもう長くないと言うのは
分かっていたみたいで
それからはラインで頻繁に連絡をとり合いました。

朝から少しお茶を飲んだくらいでしたが
夕方には雑炊や柿、りんごなどを
少しずつ食べていました。

お茶は200mlしか飲まず
胃ろうからの廃液は200mlでした。

夕方看護師さんが来たときは
夫は珍しく起きていました。

この日は責任者のkさんでした。
あまり分からなくなっていた頭でも
kさんの事はよく分かっていました。

kさんにはいつも聞きたい事や
して欲しい事を頼んでいました。

この日もkさんに

いつ死ぬんや、ハッキリ言ってくれ

と言ってkさんを困らせていました。他にも

なんで死なれへんのや
いつまでこのままなんや

とひとしきりkさんに、言いたい事を
吐き出すように言ってました。

夫はあまり喋るので
喉がゴロゴロして苦しそうでした。
kさんはそれを見て

深呼吸したら、楽になるよ

と言ってくれました。

夫は手を前に出して
胸の前で動かし
ラジオ体操の深呼吸を
小さな小さな深呼吸を繰り返していました。

元気な時にずっと続けて来た体操
夫の頭の中では一生懸命体操して
深呼吸をしていたのだと思います

その小さな深呼吸をしている夫の姿が
目に焼き付いて、今も離れる事がありません。

最後まで諦めなかった夫の姿でした。
夫は喋り過ぎたのか疲れたみたいでした。

それでも今度は、

今日誕生日パーティーするのやろ、
ななやももはいつ来るんや。

と言いました。
やはり正気に戻っていたのか
夫は誕生日の事を覚えていました。
私は

夕方には来る筈やけど

と夫に言い、末娘に誕生日パーティーの事を
言って家に来るように言いました。

次女にはプレゼントを小さなものでいいから
買ってくるように言ってありました。

夫が生きているうちに、12月と1月生まれの
孫達の誕生日パーティーはどうしても
してやりたかったからです。
たとえ、真似事でも。

本当の誕生日パーティーは後でする事にして
せめてプレゼントだけでも
夫から孫達に渡して貰おうと
次女と2人で相談していたのです。 
夫にもその時日曜日にパーティーするからとは
言ってたのですが
それを今まで忘れずに覚えていたなんて。

せん妄も酷くなって来ているのに
孫の事だけはしっかり覚えてくれてました。

孫達が来る時もこの時のように
しっかりしてくれればいいのですが。